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大震災シミュレーション 生活再建


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日常生活に向けて
死と向き合う
東日本大震災では、19,225にん(2015年3月1日現在・総務省消防庁)、阪神・淡路大震災では、6,434にん(2006年5月19日確定報・総務省消防庁)が亡くなり、多くの方々が「死」と向き合いました。
首都直下地震が発生した場合には、約11,000にんの死者、約210,000にんもの負傷者が出ることが想定されています。
詳細250ページ

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応急仮設住宅に入る
住居を失った場合は、応急仮設住宅に入居できます(原則2年間居住、延長の場合あり)。
避難所生活から応急仮設住宅に移り、できるだけ早く自立への道を歩みましょう。
詳細259ページ

親戚・知人宅に移る
応急仮設住宅に入るだけでなく、親戚や知人の家に同居させてもらうことも一案。
新たな住宅が見つかるまでという条件を提示し、親戚や知人の負担を軽減することも大切です。

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生活再建に踏み出す
事業の再開
国や東京都は、中小企業者や農林漁業者の事業再開のために、各種の支援策を用意しています。
区市町村に申請することで、支援策を活用することができます。
詳細、261ページ

仕事の再開
被災して仕事を失った場合は、ハローワークで仕事を探すほか、職業訓練などの支援を受けることができます。
詳細、260ページ

学校に復学
被災によって経済的に困ったり、学校が被災した場合には、就学費用や転校費用など、緊急・応急の奨学金の貸与を受けることができます。
詳細、260ページ

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地震発生の瞬間から再建まで、起こりうる危機と行動わシミュレートできましたか?
自分自身に置き換えて想像することが大切です。
自宅にはどんな危険が潜んでいるか?職場わ?学校わ?……
できるだけ具体的に想像することが、防災の第一歩です。
さあ、今やろう。

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「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」
被災者の声に学ぶ
インタビュー1
犠牲者を出さない的確な避難判断
斉藤敏子さん(石巻市在住、被災当時69歳)
地震発生時、町内会の役員をしていたため、すぐに近隣を見まわって逃げ遅れた人がいないかなど、あらかじめ決めてあった地震時の対応策に従って行動しました。自宅は津波で床上浸水したのですが、二階は住むことができたので在宅避難をしながら、昼間は避難所で生活支援を行いました。
約1,200世帯、約3000人の町内会で役員は30人おり、毎年、しの防災訓練だけでなく、町内会の自主防災訓練も行い、隣近所との付き合いも活発でした。そのおかげで、多くの人は、地震発生時の対応策や避難の判断も確かで、勤務先で亡くなった人はいても、自宅では地震や津波が原因で亡くなった人はいませんでした。
大震災を体験して、命を守り生きのびるためには、防災の知識を学んでおくことに加えて、近隣との普段からのコミュニケーションが大切だとつくづく感じています。

東日本大震災じの宮城県気仙沼市の第18きょうとくまるの写真があります。

東日本大震災時の宮城県気仙沼市の第18きょうとくまる。
震災遺構として残そうという意見もあったが、2013年10月に解体された。

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インタビュー2
奇跡を起こしたあきらめない心
みずぐち福ひろさん(神戸市在住、被災当時60歳)
寝ていたところ大きな揺れで目が覚め、普通の揺れではないと感じたとたん、倒壊した家とタンスの下敷きになりました。妻は外出していて難を逃れましたが、私は生き埋めに。天井板とのあいだにわずかに隙間があったため、息はできたのですが、身動きがとれません。
そのうち、下半身の感覚がなくなり全身が燃えるように熱く、頭が割れるほど痛く、このまま死んでしまうのかと覚悟しました。しかし、家族や親戚や老親、職場のことを思い浮かべ、このまま死ぬわけにわいかない、あきらめないぞと、残されたちからを振り絞り天井板を突き破り、指を突き出すと偶然ひとの手に当たったんです。すうふん遅かったら、意識を失って死んでいたでしょう。絶対にあきらめない心が奇跡を起こしたんだと思います。

インタビュー3
徹底した話し合いでトラブル解決
村川政徳さん(神戸市在住、被災当時50歳)
倒れる寸前の市営住宅から、中学校の体育館に避難しました。避難所生活でいちばん困ったことは、うわさばなしやペットを巡るトラブルでした。
被災者は、将来の生活不安や現状の不満などから、避難者同士が険悪な雰囲気になることもしばしば。例えば、ある所に市から助成金が出たといううわさが立ったときは大変でした。
市から話があるまで待とうと、毎晩話し合いをしましたが、全員が納得するまで1から2カ月はかかりました。
また、犬の問題も困りました。飼い主にとっては家族同然ですが、犬が苦手な人もいますし、病気の人もいて、室内に置くことに反対だったのです。こちらも話し合いをして、屋外で飼うことで落ち着きました。震災を体験して、問題を乗り超えるには、徹底的なコミュニケーションが必要であることを実感しました。

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インタビュー4
子どもが元気になれば大人も元気になる
東田せつ子さん(神戸市在住、被災当時58歳)
自宅は倒壊せず在宅避難でしたので、避難所での生活支援を行いました。避難所には、幼稚園から小学校の子どもが20から30人程度いて、しばらく親のもとでじっとしていましたが、そのうち走りまわるようになり、大人からうるさいとどなられるような状態でした。
被災3日目、先生が子どもの安否確認に来て、学校で子どもたちを遊ばせるようになりました。1、2時間、学校にいって戻ってくると、子どもたちが明るくなっています。そのうち、5、6年生の子どもたちが来訪者の名前を聞いたり、弁当などを配るようになりました。子どもが自ら役割を見つけ、人のために働くことで生き生きとなることで、大人も元気をもらいました。
ただ、子どもの心のケアは、必要です。身近な大人が一緒にいて、子どもの言うことをきちんと理解すると、子どもは心を落ち着かせます。震災発生時に子どもが生き残るには、親と子どもが「自分の身は自分で守る」と約束することが大切なのです。

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インタビュー5
自分の命は自分で守る
山田葉子さん(石巻市在住、被災当時45歳)
地震発生の翌日、避難所から家の近くまでいってみたところ、津波に流されて自宅から海側の家はいっけんもありませんでした。がれきの山で自宅も見えず家も流されていたと思いました。これが現実だと認めなければ、前に進めません。避難所生活の始まりです。
当初、支援はほとんどなく、自分でできることは、自分でやるほかないと覚悟を決めました。地元の看護師がボランティアで避難所に来られたので、透析患者の兄のことを相談したところ、2,000にんを超える避難者で病気や障害を抱えた人や、避難所の近隣で体調を崩されたかたの応急処置を行う看護師の手伝いをすることになりました。厳しい命の現場に立ち会うことで、避難者からの問い合わせに対して、現時点で自分ができないことやわからないことは「できません」と答えるようになりました。非常時では、いたずらに期待を持たせることは、混乱を招くだけだからです。震災が発生したら、自分でできることは、自分でやらないと、命を守り生きのびることは、難しいと実感しました。

インタビュー6
生き方をこんぽんから変えた震災体験
夛賀秀樹さん(東京都在住、被災当時27歳)
阪神・淡路大震災が発生した直後は、電話もつながらず、なんの情報もない中、被災者同士の話を頼りに動くほかありませんでした。避難する途中、建物の下敷きになった人の助けを求める声、圧死されたかたなどを眼前にして、日常がもろくも崩れてしまうことを実感しました。
大学の臨床心理学修士として診てきた「死にたい」と言っている患者さんが生き続け、震災では、「生きたい」と思っている人が亡くなることを体験して、現場で人の命と生活を支える仕事がしたいと思うようになりました。その後、看護大学に入り、看護師としての道を歩むことになります。阪神・淡路大震災は、私の生き方をこんぽんから変えました。

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インタビュー7
子どもの心の傷のケア
藤田麻衣子さん(東京都在住、被災当時7歳)
阪神・淡路大震災のとき、私は7歳で「大地震」と理解するのにかなりの時間がかかりました。大きな揺れには驚きましたし、在宅避難も大変でした。けれどもどこか現実味がない。
そんなときに電車から見た焼け野原のような光景は、一生脳裏に焼き付いて離れないでしょう。はっさいから1カ月が経っていましたが、とても近づける状態ではなく強いショックを受けました。その時、ようやく、自分の住む町が壊れてしまったのだと実感しました。
それ以来、当時の話をすること、写真を見ることが嫌になり、自分自身の体験と向き合えるようになるまでにかなりの時間を必要としました。子どもは被災体験を抱えて大人にならなければいけません。地震は恐ろしいと教えるだけでなく、乗り越える力を学ばせることが大切でわないでしょうか。

インタビュー8
乳幼児と過ごした過酷な避難所生活
木村葵さん(東松島市在住、被災当時26歳)
5歳と6歳の息子、ろっかげつの娘とともに、避難所生活をいっ週間送りました。避難した中学校の体育館には、備蓄品は一切なく、身に着せたもので暖をとりました。
避難所はストレスのたまる生活でした。娘がちょっとでも泣いたり、息子たちが声を上げたり走りまわると、あからさまに嫌な顔をされるので謝ってばかり。助けてくださるかたもおられましたが、息子たちは欲求不満になり、私は精神的に追い詰められ、電気も水道も復旧していない自宅に戻り、ようやくストレスから解放されました。
外出するときに避難用品など持ち歩くなど考えたこともありませんでした。赤ちゃんのよだれかけや除菌シート、携帯ライトなどさえあれば、避難所生活でどれほど助かったことでしょうか。
今は、これらを常に持ち歩くことはもちろん、防災意識を高めて暮らしています。

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防災おさらいクイズ
クエスチョン1 地震の揺れを感じたら、まず何をすべき?
こたえ、17ページ

クエスチョン2 地震が起きたとき、火を使っていたらどうすべき?
こたえ、18ページ

クエスチョン3 地震で部屋に閉じ込められた、身動きできなくなったらどうすべき?
こたえ、25ページ

クエスチョン4 学校にいるときに地震が起きたらどうすべき?
こたえ、29ページ

クエスチョン5 地震が収まってすぐにしてわいけない行動わ?
こたえ、38ページ

クエスチョン6 避難をする前に必ずやるべきことわ?
こたえ、46ページ

クエスチョン7 避難をするときに注意すべきことわ?
こたえ、48ページ

クエスチョン8 火事を発見したら、どの方向に、どのようにして逃げる?
こたえ、49ページ

クエスチョン9 震災を乗り越えるためにみんなで助け合うことをなんと言う?
こたえ、52ページ

クエスチョン10 よう配慮者とは、どんな人を指す?
こたえ、66ページ

78ページ
地震そのとき10のポイント
地震時の行動
1、地震だ!まず身の安全 詳細17ページ、20から23ページ

高層階(概ね10階以上)での注意点 詳細36ページ

地震直後の行動
2、落ち着いて 火の元確認 初期消火 詳細18ページ

3、あわてた行動 ケガのもと 詳細18ページ

4、窓や戸をあけ 出口を確保 詳細18ページ

揺れが収まったときに、避難ができるよう出口を確保する。

5、門や塀には、 近寄らない 詳細18ページ
屋外で揺れを感じたら、ブロック塀などには近寄らない。

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地震後の行動
6 火災や津波 確かな避難 詳細40ページ、48から51ページ

7 正しい情報 確かな行動 詳細42ページ

ラジオやテレビ、消防署、行政などから正しい情報を得る。

8 確かめ合おう わが家の安全 隣の安否 詳細44ページ
わが家の安全を確認後、近隣の安否を確認する。

9 協力し合って 救出・救護 詳細53ページ
倒壊家屋や転倒家具などの下敷きになった人を近隣で協力し、救出・救護する。

10 避難の前に 安全確認 電気・ガス 詳細47ページ
避難が必要なときには、ブレーカーを落とし、ガスの元栓を閉めて避難する。
 


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